住職ご挨拶・縁起
住職ご挨拶・紹介
海元寺住職
櫻木知彦
みなさまにとっての”最後に帰る場所”でありたい。
海元寺住職の
海元寺住職はこんな人
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住職着任前はどんな事を?
僧籍取得後、父が住職として存命の時には、私は医療機器のメーカーで営業をしていました。主にペースメーカやICDなどの医療機器を病院に営業していました。7年ぐらい。
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寺務外でなにか活動は?
博多祇園山笠というお祭りに
恵比須流 官内町 の一員として参加しています。また、20年ほど雅楽という音楽をしており、浄土宗僧侶で構成されている「鎮西 楽所 」という団体に所属しています。楽器は篳篥。20年もしているのに関わらず、なかなか上手くなりません。 -
住職の趣味・嗜好は?
趣味は釣りです。最近忙しくあまり行けていませんが、子供たちと時々船釣りや堤防釣りなどいろいろな釣りをしています。
海元寺について
海元寺は室町時代に真言宗のお寺として建立。時代の流れと共にお寺は浄土宗となり、現在の地へ。
辻堂で発見された木像の閻魔さまの首を祀るお寺を建てたのがはじまり。
海元寺にある閻魔さまは、江戸時代の延宝8年(1680年)には石堂口から松原の方に入って左手にあった自性院という寺に祀られていましたが、縁あって海元寺の山内に移転して、現在にいたっています。 閻魔さまの由来は、黒田光之公の宰臣鎌田九郎兵衛の槍持であった源七(出家名:円心)という者が、京都のとある辻堂で閻魔さまの木像の首の部分を、縁があって筑前に持ちかえることになり、これを安置するために自性院を建てたのが始まりといわれます。
※写真は海元寺第34世住職
江戸時代、西国三十三所の観音霊場へのお参りと同じ功徳を受けられるようお迎えした三十三観世音菩薩。
海元寺の観音堂には、三十三所観世音菩薩がお祀りされています。 西国三十三所とは、日本で最初に成立した巡礼で、四国八十八箇所と同じように、近畿一円に分布する三十三の観音霊場寺院をめぐるものです。 今よりも交通が不便な江戸時代、西国三十三所の霊場を回るのは非常に大変な事です。西国三十三所の観世音を模写し、一度お参りすることで、西国三十三所の観音霊場をお参りしたのと同じ功徳を受けられるように作られたのが、海元寺の三十三観音菩薩です。
塗り絵ダウンロード
海元寺の塗り絵です。ご自由にお使いください。
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えんま塗り絵
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えんま写仏
