住職ご挨拶・縁起

住職ご挨拶・紹介

海元寺住職 櫻木知彦

海元寺住職

櫻木知彦

MESSAGE

みなさまにとっての”最後に帰る場所”でありたい。

海元寺住職の櫻木さくらぎ知彦ちげんと申します。海元寺ホームページをご覧いただきまして、誠にありがとうございます。海元寺は「みなさまの心の拠り所となるお寺」を目指しています。たとえば、ふるさとの実家のような場所。玄関を開けると、ホッとする。大人になっても、両親の前では子どもの気持ちに戻れる。そんな、あたたかくて、安心できる場所。私たちは、みなさまにとっての“最後に帰る場所”でありたいと願っています。そして、仏教の教えを通じて、やさしさやつながりをみんなで分かち合える、そんなお寺をめざして、日々おつとめしています。どうぞ、お気軽にお立ち寄りください。お待ちしております。

海元寺
住職はこんな人

  • Q

    住職着任前はどんな事を?

    僧籍取得後、父が住職として存命の時には、私は医療機器のメーカーで営業をしていました。主にペースメーカやICDなどの医療機器を病院に営業していました。7年ぐらい。

  • Q

    寺務外でなにか活動は?

    博多祇園山笠というお祭りに恵比須流えびすながれ 官内町かんないまちの一員として参加しています。また、20年ほど雅楽という音楽をしており、浄土宗僧侶で構成されている「鎮西ちんぜい楽所がくそ」という団体に所属しています。楽器は篳篥。20年もしているのに関わらず、なかなか上手くなりません。

  • Q

    住職の趣味・嗜好は?

    趣味は釣りです。最近忙しくあまり行けていませんが、子供たちと時々船釣りや堤防釣りなどいろいろな釣りをしています。

海元寺について

海元寺の縁起・歴史

海元寺は室町時代に真言宗のお寺として建立。時代の流れと共にお寺は浄土宗となり、現在の地へ。

海元寺かいげんじは、福岡市博多区にある浄土宗のお寺です。 山号を「潮音山ちょうおんざん」、院号を「義弘院ぎこういん」といいます。京都・知恩院を本山とし、長い歴史と信仰を伝えてきました。 創建は応永23年(1416年)とされ、開山上人(初代住職)は大蓮社岌山徳公だいれんじゃぎゅうざんとくこうという僧侶です。もとは真言宗の寺「独鈷寺とっこじ」または「大福寺だいふくじ」として、現在の博多区堅粕付近にありました。 のちに浄土宗に改宗され、寺の創建に尽力した「長恩」という人物の名にちなんで、「長恩山」と称されました。江戸時代初期に現在の地・官内町(石堂口)に移り、「潮音山 海元寺」と改められました。600年以上の歴史を持ち、地域とともに歩んできた博多のお寺です。

過去の海元寺の写真
閻魔堂の縁起・歴史

辻堂で発見された木像の閻魔さまの首を祀るお寺を建てたのがはじまり。

海元寺にある閻魔さまは、江戸時代の延宝8年(1680年)には石堂口から松原の方に入って左手にあった自性院という寺に祀られていましたが、縁あって海元寺の山内に移転して、現在にいたっています。 閻魔さまの由来は、黒田光之公の宰臣鎌田九郎兵衛の槍持であった源七(出家名:円心)という者が、京都のとある辻堂で閻魔さまの木像の首の部分を、縁があって筑前に持ちかえることになり、これを安置するために自性院を建てたのが始まりといわれます。

※写真は海元寺第34世住職 龍瑞りゅうずい上人。

閻魔大王と海元寺第34世住職 龍瑞上人
観音堂の縁起・歴史

江戸時代、西国三十三所の観音霊場へのお参りと同じ功徳を受けられるようお迎えした三十三観世音菩薩。

海元寺の観音堂には、三十三所観世音菩薩がお祀りされています。 西国三十三所とは、日本で最初に成立した巡礼で、四国八十八箇所と同じように、近畿一円に分布する三十三の観音霊場寺院をめぐるものです。 今よりも交通が不便な江戸時代、西国三十三所の霊場を回るのは非常に大変な事です。西国三十三所の観世音を模写し、一度お参りすることで、西国三十三所の観音霊場をお参りしたのと同じ功徳を受けられるように作られたのが、海元寺の三十三観音菩薩です。

三十三観世音菩薩

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海元寺の塗り絵です。ご自由にお使いください。